茨城県結城市にある結城尚武館では門下生を募集しています!

道場のあゆみ

創設から今へ

s27nen.jpg 昭和28年12月14日、元警視庁剣道師範・近藤治三郎範士が郷里の結城市穀町に結城尚武館を創設。
少年剣道・一般を併せて50余名の門人が集まりました。しかし、昭和33年8月15日、近藤近藤治三郎範士が死去したことから道場は閉門となります。
その後も門下生や剣道愛好家たちの剣道熱は高まるばかりで、場所を変えながら稽古を続けていました。残念なことに、高校の体育館を使って稽古していたとき、校内で不審火が二件発生した事から、学校では施設の夜間禁止。
これまで同高で練習していた二十余人の会員は練習場所を失うこととなります。この話を聞いた曽雌哲雄(現結城尚武館館長)は、「青少年の心身鍛錬のためにぜひ続けたい」と私費六百万円を投じ、昭和49年に結城尚武館の再建を図るため、現在地に155.32㎡の道場を建設し昭和49年11月4日開館することになりました。
館長には近藤治三郎範士の門人で、曽雌哲雄氏の高校時代の恩師である田中宗裕氏(元茨城県立結城第一高等学校校長)を迎え、同氏が二代目館長に就任。
一般に開放された剣道場では毎週月・金・土曜日の三日間、120余名の愛好家が練習に励み、場内には元気な声が響くようになりました。
その後、昭和59年に教士七段・曽雌哲雄氏が第三代館長に就任し、現在に至っています。
なお、同年に道場の増改築も行っています。

偉大な指導者その1 岩瀬鉾太郎範士

曽雌哲雄館長が最初に入門したのが、故岩瀬鉾太郎範士の養心館道場です。
範士は明治28年に、栃木県河内郡吉田村(下野市)に生まれ、大正3年東京の修道学院に入門。剣聖高野佐三郎範士のもとで小野派一刀流を修め、昭和33年に範士八段を授与されています。昭和38年に養心館道場を設立されました。
曽雌哲雄館長の剣道に対する姿勢や思い、結城尚武館での教えの原点はここにあると言っても過言ではありません。

偉大なる指導者その2 中村広修範士

昭和50年代に入り、結城尚武館の指導者並びに門下生達は、故中村広修範士から約10年間直接指導を戴きました。毎月1回の出張稽古でしたが、その間1度も休まれた事はありません。達人と言われる人は、このようなところがちがうのだなと敬服します。
当たり前のことを当たり前にやることの難しさ・厳しさ、現代の我々は真摯な態度でこれを見習う必要があります。

故中村広修範士は、
大正3年茨城県真壁郡関城町(現筑西市)生まれ。
昭和6年関城義塾元武館を経て水戸東武館寄宿生として入館
昭和16年大日本武徳会本部武道専門学校講習科卒
江田島海軍兵学校剣道教官。茨城県警剣道師範を経て後主席師範。剣道範士八段

中村広修範士著書「茨城の剣道史」によれば、「17歳の広修少年は東武館第三代館長の小澤豊吉範士にその天性を見出され東武館内門弟となり、日夜「突」、「体当」「組討」の東武館三大御家芸の猛特訓を受けて頭角を現し、ことにその突きと足技はまことに強烈であった。」と記されています。その後も輝かしい戦歴を数多く残されました。
現在の指導者の多くは範士から直接稽古を戴いています。各人各様の思い出がありますが、その強さには一様敬服するところです。
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